ハンス/甲田の調査報告書

ハンス/甲田の調査報告書 file.2 「ホロコースト」とは

『わが家の最終的解決』はホロコーストが行われた1942年のオランダを舞台にしております。そのホロコーストとは何なのか。今一度考えてみたいと思います。
‎そもそも「ホロコースト」の語源はどこにあるのでしょうか。そこから調べてみたいと思います。
‎マイケル・ベーレンバウムの『ホロコースト全史』にはこう書かれています。

「ホロコースト」の語源

‎「ホロコースト(holocaust)」とは、そもそもギリシア語に由来する英語である。旧約聖書の最古のギリシア語訳である『七十人訳聖書』は、“焼いて神前に供えられるいけにえ”を意味するヘブライ語の「オラ(olah)」を、「ホロカウストン(holokauston)」と訳した。

‎どうやらホロコーストは元々はギリシア語に由来するようです。そこから第二次世界大戦後に、理由はわかりませんが、次第にアメリカにおいてもともとの“焼いて神前に供えられるいけにえ”とは全く異なる意に変わりナチスによるユダヤ人大虐殺を意味する英語として使われるようになりました。
‎日本でもユダヤ人大虐殺を指す言葉といえばホロコーストが一般的かと思われます。しかし、地域や言語によって他の言い方もあるようです。例えばポーランドなどの東欧では東欧ユダヤ人の言語であるイディッシュ語で「大破壊、破壊」を意味する「フルバン(hurban)」と呼ぶことがあるようです。また、イスラエルやドイツにおいてはヘブライ語で「絶滅、破壊」を意味する「ショア(shoah)」が多く用いられているとあります。こちらのショアはクロード・ランズマン監督による同名映画の公開がきっかけで広く知れ渡るようになったそうです。

以上がホロコーストの語源、また様々な呼び名についてであります。以降はユダヤ人大虐殺については日本で多く知られているであろうホロコーストをここでは用いたいと思います。
‎ホロコーストの言葉についてようやく少しの知識を得ました私は次はこのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の歴史的事実について少し掘り下げていきたいと思います。

ホロコーストはいつ行われた?

‎歴史的にホロコーストはいつ行われたのでしょうか。そして誰が何を行ったのでしょうか。そういう基本的なことに立ち返りたいと思います。まずは「いつ」について考えていきたいと思うのですが、この「いつ」はとても重要な気がするのです。

‎例えば日本で起こった出来事で考えてみるならば南京事件は1937年に起こった出来事ですし広島への原爆投下だったら1945年8月6日のことでありますし、長崎への原爆投下だったら1945年8月9日のことであります。これらの歴史的事実は当たり前ですが1944年とか8月7日とか1年や1日でもずらすわけには絶対にいきません。無論そのような出来事はなかったなどという説は論外です。そのような説は出来事があったという話とは同等に並ばせることはできませんのでここできっぱりとさよならしておきましょう。何をそんなに息巻いてと思われる方もいらっしゃるかもしれませんがホロコーストについて考えてみるならばそれはヨーロッパでドイツが行った出来事であり日本が行った出来事ではありません。なので日本の方々はホロコーストについては上に述べたようなそのような説とはおそらくですがきっぱりとさよならしているわけであります。しかしこれが日本が行った出来事であれば全くの別です。これについてはまた考えていきたいと思います。

‎さてホロコーストについての「いつ」ですがこれが非常に難しいのであります。ホロコーストに関しては上に述べた出来事とは違って1年や1日の間に起こった出来事ではありません。もう少し長い期間で起こり続けた出来事です。なので厳密に特定することはできないのかもしれません。けれどそれは1910年代のことではありませんし1950年代のことでも決してありません。もっともっと範囲を狭めて考えてみたいと思います。
‎1933年1月30日、ドイツではナチ党が政権を取りました。私はホロコーストの起点を今回はナチ党が政権を握ったこの1933年1月30日に定めたいと思います。

‎ところでナチ党とは何でしょうか。正式名称は国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)といいます。またナチ党の党員もしくは党員でなくてもこの党を支えていこうとする人々のことを「ナチス(Nazis)」と呼びます。
‎政権を握ったときのナチ党の総統は言わずと知れたあのアードルフ・ヒトラーです。国民社会主義ドイツ労働者党については少し詳しく調べてみますと言わずと知れたあのアードルフ・ヒトラーは実はこの党の創設者ではありません。ナチ党は元はドイツ労働者党という名であって創設したのはヒトラーではなくアントン・ドレクスラーという人でした。ヒトラーは後からこの党に加入し指導的立場まで上りつめた人だったのです。

‎1933年1月30日をホロコーストの起点とするならば終わりはいつに定めればいいのでしょう。
‎それは1945年5月8日、ドイツがベルリンで無条件降伏した日に今回は定めたいと思います。
‎あくまで今回に限った私の視点ですがホロコーストという出来事が起こった「いつ」を1933年1月30日〜1945年5月8日と定めたいと思います。
‎ここでホロコーストと言われるユダヤ人大虐殺はおよそ12年の間に起こった出来事だということがわかりました。
‎起点となる1933年1月30日は2018年から数えるとおよそ85年前になりますが少し身近に考えられるように日本ではそのとき一体何が起こっていたか見てみたいと思います。

‎1933年より2年前の1931年9月18日、日本は柳条湖にある満鉄線路を爆破、これを口実に満州への総攻撃を開始します。教科書でも有名な「満州事変」というやつです。そして1933年の2月24日には日本は国際連盟を脱退しております。
‎ドイツでヒトラー内閣が成立した頃には日本は世界からもう相当に孤立しておりました。脱退することになった満州撤退勧告案は42対1という結果で可決されております(1は日本です)。
‎ちなみに日本は1910年の段階で「韓国併合」といわれるように既に韓国を支配しております(日本の韓国への支配はこの後1945年まで続きます)。1933年の日本は次は中国へと手を伸ばそうとしている時期でしょうか。
‎ドイツに戻ります。『わが家の最終的解決』の舞台は1942年のオランダでありますがヒトラー率いるドイツは1933年の段階ではまだどこの国にも侵略はしておりません。オランダに侵略するのは1940年5月のことです。後に同盟を組むドイツと日本ですが1933年の段階では結構な差が見られます。第一次世界大戦に深く関わっていない日本とその敗戦国であるドイツを比べているのですから違いは出て当然なのかもしれません。
‎1933年の日本について述べましたのでホロコーストの終わりである1945年5月8日まわりの日本もみてみたいと思います。
‎ホロコーストの終わりをドイツがベルリンで無条件降伏降伏した5月8日と定めましたがこれは日本で考えるならば敗戦の日である8月15日にあたるのかもしれません。と考えるならば1945年5月8日がドイツにとってどれだけ重要な日であるかということを改めて認識させられます。
1945年5月の日本ですが沖縄では米軍との戦闘が繰り広げられておりました。1945年1月、米軍が沖縄本島に上陸します。守備軍が全滅し沖縄戦が終わるのは6月23日のことです。
‎ドイツがユダヤ人の大虐殺を行っているとき、日本でも多くの人を殺し殺されしていたことがわかりました。ドイツの時間をもう少し進めていきたいと思います。
‎ナチ党が政権を取ってから2年後の1935年、ユダヤ人に関する基本的な定義が確立されました。いわゆる「ニュルンベルク法」という法律が制定されます。これにより「ユダヤ人」と「ドイツ人あるいは同系統の血筋」という言葉で両者を区別しようとしました。

ユダヤ人とそれ以外の区別の方法

‎しかし具体的にどのようにして区別しようとしたのでしょうか。
‎それはユダヤ教徒信徒共同体に所属しているかどうかで判断されました。
‎自分がユダヤ人かどうかであるかは祖父母がユダヤ教徒であるかどうかで判断されます。祖父母の3人もしくは4人がユダヤ教徒であればその本人は「完全なユダヤ人」とされました。祖父母の1人がユダヤ教徒の場合は「第二級混血」となりドイツ人とみなされました。祖父母の2人がユダヤ教徒の場合は少し複雑です。この場合は本人がユダヤ教徒ではなく、かつユダヤ教徒と結婚していない場合に限り「第一級混血」とみなされました。
‎第二級混血はドイツ人とみなされたと書きましたが実は私はいまのところそれを定かにわかっておりません。と申しますのも『ホロコースト全史』の記述に「しかし、実際には、祖父母の中に一人でもユダヤ人のいる者は、すべて自動的にユダヤ人とみなされ、ドイツ国民としての完全な権利を奪われた」とあるからです。
一方、芝健介の『ホロコースト』にはドイツ人縁戚がいるユダヤ人混血の数は膨大であり、「そのためヒトラーは、一九四四年秋まで、ユダヤ人の規定を拡張することに慎重であり続けた」ともあります。
‎祖父母に1人でもユダヤ教徒がいるならばユダヤ人とみなされたが、そのような規定の拡張は1944年秋まではなされなかった、というところが落ち着くところなのかはまた詳しくわかり次第追記できればと思います。
‎とりあえず現時点でのユダヤ人の定義をまとめますと…。

祖父母の3人もしくは4人がユダヤ教徒の場合
→ユダヤ人

祖父母の2人がユダヤ教徒の場合
→第一級混血(条件付き)

祖父母の1人がユダヤ教徒の場合
→第ニ級混血(ドイツ人?)

となります。

重要アイテム「出生証明書」

ところで自分がドイツ人であることを証明するためには何が必要だったのでしょうか。
‎それは『わが家の最終的解決』の初演でも登場したように出生証明書もしくは洗礼証明書が必要だったようです。しかしこれが本人だけの一種類ではどうも足りなかったようです。というのも上で述べましたように自分を証明するには祖父母が重要になってくるわけですから証明書は多数必要です。出生記録は教会に保存されてたそうですが自分がドイツ人であることを証明するには祖父母の4種に加えて両親の2種、さらに本人ので合計7種類の書類が必要だったようです。

今回はホロコーストの語源、ホロコーストはいつ行われたか、ホロコーストが行われたときの日本、ニュルンベルク法についてなどをざっと調べてみました。次回も探求を深めていきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。


《参考文献》
マイケル・ベーレンバウム(1996)『ホロコースト全史』創元社.
芝健介(2008)『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』中公新書.
歴史学研究会編(2001)『日本史年表 第四版』岩波書店.

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