冨坂のわが家取材旅行レポ

冨坂のわが家取材旅行レポ②(11/6前編アンネ・フランク・ハウス)

本日は一日アムステルダムをまわる日。

 

アンネ・フランク・ハウス当日券予約チャレンジ

一番の課題は、「今日アンネ・フランク・ハウスに行けるのか?」ということ。

「アンネの日記」の舞台である隠れ家で、現在は博物館になっているアンネ・フランク・ハウス。
こちらは昨年から完全予約制になっており、オンラインのチケットフォームで予約しないと入れない。
そして、うっかりしていたら、日本出国の時点で11/7の11:00の回しか残っていなかったのだ。
そしてその時間って、オシフィエンチムに向けて電車に乗らないといけない時刻。

とりあえず、念のためということで予約はしたものの、この時間にアンネの家に行くと、オシフィエンチム行きの電車を録り直さなければいけない。
幸い、乗換駅のベルリンでは時間があるので、30分ほど後の便を取り直せばいいのだけど、有料なんですよね。しかもアムス〜ベルリンの電車が一番高い。
まぁアムステルダムまで行ってアンネの家に行かないわけにいかないから取ったけど、11/7の11:00より先に訪ねることができないか、これが目下の心配事だったのだ。

WEBサイトを見たら「2ヶ月前に8割のチケットを予約開始し、当日に残りの予約を開始する」と書いてあったので、11/6の当日券予約に賭けることにした。

日付変わるまで予約フォームに張り付くが、表示が変わる気配がない。
なので当日の開館時間9:00に張り付くが、まだ変わる気配がない。
WEBブラウザを更新しながら待つ。まさかオランダに来て予約フォームの前でF5押し続けるとは思わなかったが。

9:45ごろ、予約フォームに残席状況が現れる。
そして12:45〜の入場回に結構な数の秋を発見。慌てて予約に移る。
最初にチケットを取った時のアカウント情報を入力するが、エラーに次ぐエラーでログインできない。焦る。これを逃したらピンチだ。仕方がなく新しくアカウントを登録し直す。そしてなんとか購入完了。89ユーロの電車を録り直すことなく、10ユーロの入場チケットをダブらせるだけでアンネの家に行くことができることに。

名前「冨」って。
アカウント再作成時にいかに焦っていたかがうかがえる表示。

 

午前中に散策

12:45のアンネ・フランク・ハウスまでにアムステルダムを散策。

今日中に行きたいところは「アンネ・フランク・ハウス」「西教会」「国立ホロコースト博物館(とその向かいの旧ユダヤ人専用劇場)」「ゲリト・ファン・デル・フェーン通り(オランダにおける国家保安本部の庁舎があった通り)」。
午前中のうちに、アンネ・フランク・ハウスと反対側に行ってみようと思い、「国立ホロコースト博物館」や「ユダヤ人歴史資料館」のある東側を目指す。

観光客向けっぽいごちゃごちゃした街を歩く。イタリア料理店の中に店猫がいたり、蚤の市をやっていたり。
デカいアウトドア用リュックが12ユーロで売ってて心が揺れた(今回普通サイズのリュックといつものメッセンジャーバッグで来てるもんで)けど、諦める。

途中で「レンブラントの家」や「演劇舞踏学院」などのあるキレイな通りへ。
ちなみに今回舞台美術をやってくれる袴田さんはアムステルダムのここの学校に留学していたこともある、アムステルダム×舞台美術の専門家だったりする。
ここの下のアルバートハイン(スーパーマーケット)には大変お世話になった。先日行ったスーパーの値段がなんだったんだ、ってほどに安い。
野菜も日本より安いし、肉ももっと安い(どの肉も100g100円しないくらい)。そしてパンが安い。スーパーの中に入ってるパン屋がどれも安くて、クロワッサンなんて1個40ユーロ(50円くらい)だぜ?常日頃、「なんでクロワッサンってあんなに高いんだろう」と思っていた身からすると、やったーって感じ。

そしてバゲットのサンドイッチが超うまかった。スモークチキンとルッコラとトマトのサンドイッチに、バジルとオリーブオイルのソースがかかってる。パンはオーツとセサミ…って書いて気づいた。この味知ってる。これ、サブウェイや。
あとマンゴーのスムージーも安かった。1ユーロ。日本で駅とかにあるフレッシュジュース屋ってなんであんなに高いんだろう。

ハッパ屋、レコード屋、ハッパ屋、タトゥー屋、ハッパ屋…みたいに並んでる若者の街で見かけたので、キマリすぎちゃってる人かと思ったけど、マネキンだった。
昨日のレポで大麻の匂いが分かったと書いたけど、マリファナだけじゃなくタバコの路上喫煙もめっちゃ多い。日本より多いんじゃないかってくらい。漠然と聞いてた欧米のイメージからすると意外。

博物館まで行く時間がなかったので、引き返してアンネの家に向かう。
昼間のダム広場は人でごった返していて、あちらこちらで大道芸やってた。
でも見世物とか関係なく鳩に餌をやってる女の子がいて、その子に向かって広場中の鳩が殺到。偶然、その飛行経路にいた自分は襲われたかと思った。ジョン・ウー映画より鳩がすごかった。ちなみに鳩の見た目は日本と同じ。
カラスは小さかった。多分東京のハシブトガラスがデカすぎるんだよな。

 

アンネ・フランク・ハウス

今日もダム広場からアンネの家を目指す。
前回の記事でも書いたけど、アムステルダムの中心地であるダム広場からアンネの家までって、10分で着くんですよ。
ダム広場には国家保安本部の詰め所もあって、往来もすごくて、「隠れ住む」とは正反対みたいな場所。
いくらアムステルダムが狭いとはいえ、そこから徒歩10分のところに隠れるって、どういう心境なんだろう。「灯台下暗し」を狙うにしても、馴染みの場所(オットーの会社のビル)にしても、おっかなくてしょうがない。

途中に『アンネの日記』にも出てくる西教会を発見。アンネの家から50mくらいで、鐘の音もガンガンに聞こえる。
昨日見て「西教会かな?」と思ったところは北教会だったみたい。

そしてアンネ・フランク・ハウスへ。外観を撮り忘れた。上の写真はその横のビル。
アンネ・フランク・ハウス自体は博物館になっており、入口周辺はガラス張りの近代的な作りになっている。建物の内部とか奥は昔ながらのレンガのビルなんだけど。
ちなみにここは、アンネの父・オットーやファン・ペルス達がやっていた会社のビル。その3階と4階の奥側を隠れ家として使っていた。

館内は撮影禁止なので、ここからはオフィシャルグッズの絵葉書を撮ったもので解説していこうかと。

こういう物件。

もれなく全員、音声ガイドを貸してもらえる。日本語も選択可能。パッと見た感じ、6〜10くらいの言語に対応してるっぽい。端末はICレコーダーくらいのサイズで、各部屋の壁についているアクセスポイントに近づけたり、部屋で動画が流れている場合には、その端末から解説が流れてくる。

壁にも隠れ家生活をしていた人々の写真、当時のオランダの写真などが展示しており、オランダ語と英語の解説がついている。それは音声解説と重複していたり、違う情報だったりする。
一応、部屋に入ったら音声解説を聞き、その上で各資料やキャプションを読んでまわって行くことにした。

音声解説やキャプションには、ネットで調べても日本語ではあまり出てこない、オランダにおけるユダヤ人迫害の細かいところ、特に禁止事項など、生活にまつわる具体的な情報が結構出てくる。これは聞けて、見られて、良かった。
正直「ぬかった…!」と思ったのだけれど、撮影禁止なのにメモ帳的なものを持ち込むのを忘れてしまった。手荷物は入口で預けるスタイルだったのだ。

仕方がないので、手荷物受け取りのシールの台紙にボールペンでメモっていく。別にいけないことしてないのにスパイみたいな気分。

以下、メモったこと

  • 本棚はファイルが入った3段。高さ1750mm、幅1100mmくらい。裏側(隠れ家側)に持ち手。
  • raadhuisstraat
  • kantoor victor kugler
  • 1941年にユダヤ人の自転車の供出、電車乗車禁止
  • ユダヤ人が買物できるのは15:00〜17:00
  • 20:00〜6:00の外出禁止
  • ユダヤ人学校に行かなければならなくなり、非ユダヤ人の友達と会えない
  • 黄色いバッジ(ダビデの星)は黒い台布つき
  • 黄色いバッジ(ダビデの星)はオランダでは1942年5月3日以降、6歳以上の男女は服の上の見えるところにつける義務(ドイツ国内ではもっと昔から)
  • 1941年1月、オランダ在住のユダヤ人は登録を義務付けられる。
  • 1941年春、オランダ内のユダヤ人の居住地点を(番地レベルで)示した細密な地図が作成される
  • 1941年2月22日、2月23日に、427人のユダヤ人がピックアップされ、マウトハウゼン収容所に移送(「ユダヤ人問題の最終的解決」による計画的な絶滅収容所への移送は1942年春からなので、それに先駆けてる)
  • 亡命ができなくなり、潜伏するしかなくなる
  • アンネ一家は、1942年7月5日、アンネの姉・マルゴーに召喚状が届いたのを機に隠れ家に移動した。

そして、あの有名な本棚の奥、通称「後ろの家」こと隠れ家へ。
本棚の高さは1750mmくらい。幅は1000〜1200mmくらいかな。意外と横長で、3段になっている。
この高さで3段って本どんだけデカいねん、と思うかもしれないですよね。初演『わが家〜』もそうだったけど。
今並べてあるのが本物かレプリカかわからないけれど、ここに並べられていた本って、デカいファイルみたいなんですよね。A4か、なんならA3?くらいの紙を沢山まとめられる、幅10cmくらいのデッカいバインダー。
だから、3段の棚にデカい本が入ってるのって、あながち間違いじゃないみたいです。

この隠れ家部分から先は音声ガイドもなくなり、部屋も限りなく当時のまま。
入館者も自然と声を出すのが憚られる雰囲気になり、木の床を踏む足音だけが聞こえる。多分、隠れ家で生活していた人々と同じような状況。万国様々なところから集まった老若男女を、自然とこの状態に演出?誘導するのはすごいなぁ、なんて感想も持ってしまった。

でもそれ以上に「これかぁ」という、感慨…って言ったらおかしいけど、その本物の残りっぷりには軽く衝撃を受けた。
『アンネの日記』に出てくる人達が、この部屋に、机を並べて仕事をしていた。この窓からこっそり外をのぞいていた。この洗面台(まだ残ってる)で音を立てないように顔を洗い、このダイニングキッチン(兼ファン・ペルス夫妻の寝室でもある)で食事をしていたのか、と。

アンネの部屋は家具は無くなっていたけれど、壁はそのまま残っている。ハリウッドスターの写真や可愛い赤ちゃんの写真が貼ってある壁が、そのままラッピングされている。
そう、好きなアイドルの写真や可愛い動物の写真をファボったりスクショしたりする現代の若い女性と何も変わらない、一人の女の子なんだなーというのが印象的。
ほら、ともするとアンネって神聖視されちゃうじゃない?この博物館での扱いでもそういうところあるし。出口付近の最後の部屋では「世界のこんな人々がアンネの日記の影響受けました」みたいな映像が流れてて、ちょっとショーアップしすぎちゃう?と思ったりもしたわけで。
そんな中でも、この壁の写真のミーハーっぷりこそがリアル。リアルだからこそ迫力がある。

ちなみに、「アンネの日記」でも書かれてた(はずの)ペーターの「狭い部屋」というのが、屋根裏へのハシゴがある感じとかも含めて、現在冨坂が住んでるロフト付き物件と同じくらいの広さで、複雑な気分になった。狭いかぁ。。。
もちろん、そこから何年も出られないとか物音を立てられないってところが大きく違うんだけど。

アンネ達の隠れ家に限らず、アムステルダムの人口密度はとても高く、それぞれの建物もとても狭い。道路に対して間口を広く取れないので、奥に長い作りになっている。京都の町家とか、都心の狭い土地に無理矢理一軒家を建てる感じと近いかもしれない。
そこを考えると、2年間近くこの中から一歩も出られずに生活するってことのシンドさがだいぶ実感できる。
そもそも、現在の展示用の照明でさえ結構暗いんですよ。明るさまでは再現していないにしても、かたや隠れ家、かたや博物館の照明なわけだから、当時が現在より明るかったってことはないと思う。
これはだいぶ息が詰まるよなぁ…と実感できる。

アンネ・フランク・ハウスに行って一番心に残ったのは、アンネの壁の写真とか、現存している流し台、洗面所のタイル、塗りつぶしてある窓…etcといった、生活感のあるモノだった。「実際に人がこの空間で生活していた」というリアリティが一番強い。
「『アンネの日記』のアンネ」じゃなくて、生身の人間が居たんだよな。ここに。

併設の売店では、博物館のパンフの域を超えまくった超ボリュームのパンフレットが売ってたので購入。だいたい1,000円くらい。

1時間でまわれる博物館だったけれど、じっくり色々見ていたら2時間半くらい経っていた。
日は傾きつつあるので、他の目的地であるホロコースト博物館やゲシュタポとかがオランダの本部を置いていたゲリト・ファン・デル・フェーン通りへ急ぐことに。

現在の平和なアムステルダム・ダム広場